紹武帝(しょうぶてい)は、南明の第3代皇帝。諱は聿𨮁(いつえつ)。帝号は存在しないが、日本では施行予定だった元号紹武より一般的に紹武帝と称する。
生涯
兄の隆武帝朱聿鍵が即位すると唐王を継いだ。1646年(隆武2年)8月、隆武帝が清軍の捕虜となり、その後崩御すると、遺臣により朱聿𨮁が次期皇帝に擁立され、11月5日に広州で即位した。しかし11月18日に、弘光帝の従兄弟にあたる永明王朱由榔も肇慶において即位すると(永暦帝)、両者は清軍の脅威を受けながらも正統性を競い対立、広州三水において交戦した。この戦いで紹武帝軍は永暦帝勢力を撃退したが、戦闘により政権が弱体化、12月15日には清軍による広州侵攻が行われると、紹武帝の軍はほぼ抵抗することなく広州は陥落、紹武帝は裏切り者によって捕らえられた。李成棟は食物を差し出したが、紹武帝は「お前から1杯の水たりとももらわない、兄上に会わせる顔がない」と言って、首をつって崩御した。
系図
明の太祖洪武帝朱元璋の第23子の唐定王朱桱の八世の孫にあたる。
- 『明史』巻118(列伝第6 諸王3 唐王伝)および巻120(列伝第8 諸王5 桂王伝)より作成。
脚注




