シャルリューCharlieu)は、フランス、オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏、ロワール県のコミューン。

地理

ロアンヌから約20分、サンテティエンヌとリヨンからは約一時間半の距離にある。

由来

シャルリューの町について初めて言及されたのは827年、Caroli Locus(カールの土地を意味する。おそらくカロリング朝時代発祥であることを意味している)としてである。フランス革命時代にはChallierと改名させられていた。

歴史

ヴァランス司教ラトベールによってつくられたシャルリュー修道院は、932年よりクリュニー修道院の影響下に入った。946年に修道院はサンテティエンヌの庇護下にあった。修道院は1100年にローマ教皇パスカリス2世によって小修道院に落とされている。

豊かな都市には、多くの場合、職人や商人、羊毛職人が集まって暮らしていた。12世紀、都市のブルジョワたちによって聖フィリベールに捧げられた教区教会が建てられた。

1210年、フィリップ尊厳王はシャルリューを手に入れ、王領の飛び地とし、実際にすぐ防衛が強化された。

15世紀、シャルリューはアルマニャック派とブルゴーニュ派の対立の間重要な役割を担った。この時代は道路交通が都市から離れた時期にあたり、都市の成長が停滞していた。都市は1827年に絹織物の製造が導入されたことで開発が再開された。

この豊かな歴史から、町は黄色い石でできた住宅を多数保存している。石はサン・ドニ・ド・カバンヌの採石場から持ち込まれ(13世紀)、14世紀から15世紀にはルネサンス様式か古典様式で、絵のように美しいハーフティンバー住宅に使われた。

人口統計

参照元:1962年から1999年までは複数コミューンに住所登録をする者の重複分を除いたもの。それ以降は当該コミューンの人口統計によるもの。1999年までEHESS/Cassini、2006年以降INSEE。

ギャラリー

  • サン・フォルテュネ修道院 - ベネディクト会派。
  • コルドリエ会修道院
  • サン・フィリベール教会

姉妹都市

  • ケイン、イギリス

脚注


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